赤穂浪士の内中心的三士書状及覚書の一括 ファッション 大石内蔵助・堀部安兵衛・横川勘平

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【書名】 赤穂浪士の内中心的三士書状及覚書の一括 大石内蔵助・堀部安兵衛・横川勘平【巻冊】 五点【著者】 【成立】 元禄年中
★ 大石内藏助/小野寺十内宛/書状/七月廿六日/18.4×49.8㎝★ 大石内藏助/良雄/花押/書状/十二月十日/17.5×49.0㎝ ★ 堀部安兵衛/花押/書状/17.3×38.0㎝★ 堀部安兵衛花押/書状/15.8×39.0㎝★ 横川勘平/黒印/覚書/元禄二年己九月二日/31.5×18.6㎝
★ 大石が宛てた小野寺十内は四十七士の一人小野寺秀和。大石より16歳年上。12月14日の吉良邸討ち入りでは裏門隊に属して吉田兼亮、間光延とともに裏門隊大将大石良金の後見にあたった。邸内に侵入すると二人の敵が現れ、吉田とともにこれにあたり、秀和は槍でひとりを討ち取っている。邸の裏口を巡視すると隣家の土屋逵直邸で家士が騒いでいるので、秀和は大声を上げて、自分たちが浅野家家臣であること土屋家には迷惑をかけないので静観して欲しいことを頼んだ。秀和はその後、二人の敵を倒している。妻の丹は、秀和の死後の6月18日、京都本圀寺で絶食して自害し、夫の後を追ったと云う。
★ 横川勘平=四十七士の一人横川宗利。元禄14年3月14日に浅野長矩が吉良義央に刃傷に及んだ際には江戸にあったが、江戸屋敷が召し上げられたのちはすぐに赤穂城へ戻った。原元辰などに同調して殉死切腹を唱え、大石良雄の盟約に加わった。赤穂城開城後はすぐに江戸へ下向した。元禄15年7月の円山会議で仇討ちが決定されたあと、大石良雄は関西一帯の同志達に大高忠雄や貝賀友信を使って神文返しをさせたが、横川は江戸の同志達に対して同じ神文返しを任されており、大石の信頼がかなり厚い人物であることが分かる。また討ち入り直前に知己への手紙の中で脱盟した同志たちのことを徹底的に罵っている。吉良邸討ち入りの際には表門隊に属した。
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